2012/2/1(水) おくあん語録



絶対に人間は間違いを犯すものです。
そしてその間違いは、
ルールを守れるかどうかもそこにはいります。
感覚的ル−ルであろうが、
明確な数値的ルールであろうが。
基本的にルールがあってもなくてもルールが守れない状態というのがあります。
重要なことは、ルールが生きるのか死んでしまうのかそこなんです。

これは、自分の感覚を信じておこなった結果、
うかつにも、強気を捨て切れずに、
明確な損切りルールを設けていても
なかなか損切りできない場合があるということです。
この場合の感覚というのは変動感覚というものではありませんが、
感覚であることは間違いないわけです。
これは、知っているとできるとは次元がまったく異なるということです。
明確なルールがあっても機能しないということは致命的で、
技術が未熟であれば、せっかくのルールを生かすことができないのです。

ルール自体に過ちを訂正する力はない。
明確なルールも感覚によるルールも技術の裏付けがないと
意味がないわけです。
逆に、明確なルールであろうが、
感覚(によるルール)であろうが、
過ちを訂正する力はルールではなく本人の技量以外にないということです。

よく考えると。
損切りができないならば、ルールはあってもなくても同じだ。
また、損切りができるなら、ルールはあってもなくても同じだ。
つまり、損切りができるできないはルールとは直接は関係ない。
ルールがあるから、できるのでもないし、
ルールがないから、できないのでもない。
ルールはあくまでルールで、できるできないとは関係がない。
よって、ルールは不必要でもないし、必要でもない。
ルールがあろうがなかろうが、ルールであろうがなかろうが、
するかしないかは本人の技量だ。


                            おくあん






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